Black,White,and Blue.










犬が新聞を読んでいる。
いや、普通は『見ている』と表現すべきなのだろうが、やっぱり『読んでいる』ように見えた。

「キッド…」
しかもまた、怪盗KIDの記事かよ…?
快斗が呆れたように呼び掛けたのに反応したのか、白と黒と灰色の毛並の犬は、その蒼い目を快斗に向ける。




なんの因果か傷付いた犬を拾ったのが数週間前。
動物ずきの母親からは即オッケーが出て、快斗が責任を持つことを条件に、犬は黒羽家に居つくことになった。



まずとにかく、犬は全然犬らしくなかった。
おとなしくて吠えたり暴れたりしないし、躾もいいようなのだが、ひどく散歩を嫌がった。
散歩が嫌いな犬なんてめったにいないだろうに、首輪もロープも、付けようとするとすごい勢いで暴れ始める。
『野良と間違えられたら困るだろ』といくらいっても無駄。
しかたがないので、寝てる間に気付かれないようにこっそりと付けた。
首が締め付けられるのが嫌なのかと思い、特殊加工の自由に伸縮する素材にシルバープレートを付けただけのものにした。
それはどちらかと言えば首輪と言うより首飾り的なものだったが、それが良かったのか、犬はそれを受け入れたようだ。

他にもドッグフードを一切口にしなかったり、真夜中に突然外に出ようとしたり。
快斗の後をくっついて歩き回ることもある。
今のように新聞を『読む』ようなことすらする。
…どこまでも、人間くさい犬だった。

そして、極めつけは名前騒動である。
無いのでは不便だろう、と快斗は犬の名を沢山考えた。
一生懸命。心を込めて。
けれど、


「キッド…何見てんだ」
続けて呼び掛けると犬が立ち上がり、傍に来て、またごろっと横たわった。

仕方がない。唯一犬が反応したのがこの名前だったのだから。
ちょうどそのとき、テレビでは怪盗KIDの特集が組まれていた。
快斗が列挙した名前―――アレクサンダーだのコロだのラッキーだの――には全て無視を決め込んだ犬が、テレビを目で追い、「KID」という単語の時、はじめて声を出した。
それはうなり声、というよりは本当にのどを鳴らしたような音だったけれど、もうタイミング的にも雰囲気的にも、これしかない! という感じで。
それで全て決まってしまった。



快斗は内心非常に複雑だった。
自分のもつもうひとつの名前を、犬に向かって呼びかけるのは慣れないし、これからも慣れないだろうなー、と思う。
けれど、犬は呼べば必ず振り返ってくれる。
快斗が犬のために食事を作ってやると、尻尾が嬉しそうに震える。
時々だけど、傍で心地よさそうにまどろんでくれたり。

気まぐれで変な、謎の犬だけど、そういうところは…可愛い。
いつのまにか『キッド』の存在が快斗を落ち着かせてくれるようになってきている。

「…これでもうちょい、性格が可愛かったらなー」
ぼそっとつぶやくと、キッドはじろりと快斗を見上げた。
「ウソウソ、冗談だって」
そういって『キッド』の頭をなでてやった。
ふん、と鼻を鳴らしたような『キッド』の態度がなんだか可笑しい。
柔らかくて指通りの良い毛並みが気持ちよかった。










さて、今日は『怪盗KID』の予告日である。
KIDが狙う獲物はたいていの場合は真に探しているものとは違うから、確認した後は常に持ち主へと返却している。
そうは言ってもやはり警察はKIDを窃盗犯として逮捕しようと動いているし、そこに探偵が数人かかわることもある。
以前、小さな子どもの姿の名探偵が追いかけてきたときには、結構本気であせったことが何回かあった。

そのときのことを思い出して、KIDはくすりと思い出し笑いをした。
発砲はするわ、ビルの屋上から飛び降りるわ。
出会い頭に花火を上げたり、油断無く麻酔銃で捕らえようとしてくれたり、
―――他の誰よりも近くまで来たり。
あの行動力と頭の良さは、今まで感じたことの無かった高揚感や、追い詰められたぎりぎりのところで得られるスリルを自分に与えてくれた。
敵対する立場ではあるのだけれど、つい目の離せないような気にさせられてしまう。もちろん、あの名探偵のほうは自分のことをただの「ドロボウ」だと思ってるだろうし、どんな境遇にあっても下手な同情や手助けは必要としないだろう。

子どもの「コナン」じゃなくて自分と同じ年齢の「工藤新一」だったら、俺は捕まるかもしれない。

そんなことを思いながら、KIDは夜空をまっすぐに駆ける。











「またはずれ…」
その瞬間、美しい輝きを放つビッグジュエルはKIDにとってはただの石の塊へと価値を変えた。
今夜はお馴染みの警部とイギリス帰りの探偵しか現場にはいなくって、それで少々てこずりはしたがすぐに現場から消えることができた。
彼らも無能ではないのだが――いや、それが今の自分を助けているのだからあんまりなことはいえない。
探し求めるものを確認するべく、巨大なオフィスビルの片隅へと降り立って、KIDはそれを感じ取った。
ちく、と突き刺さる視線がどこからか注がれている感覚。

最近、KIDの犯行の後にはたいていこの視線を感じていた。
おおかた、同じものを追い求める組織の連中がKIDが探し物を見つける瞬間を待っている、といったところだろう。
こんなふうに他人事のように分析するのは、KIDであるかぎり深い注意力と冷静さを失ってはいけないと身についているためである。
しかしこの視線の主はいつも視線だけで何かをするわけではないので、KIDは警戒しつつも気づかない振りをすることにしていた。
そしてその誰かさんは、気配を隠して視線だけをKIDに感じさせている時点で相当の手練であり、そして自分の存在を示すかのように視線を送ってくる――そういう印象を受ける。




「…」
ふぅ、とため息を吐いて。
用の無くなった石をしまいこんで、帰ろうとしたところで。
KIDはふと、入り口のほうを振り返った。

そこには誰もいない。
ドアもかたく閉まっているはずだ。
光の無い暗闇の中で、KIDは苦笑を漏らした。
いつかのように誰かが追いかけてくる、あるいは待ち構えているかもしれないなんて思ったりして、ばからしい。

今度こそ飛び立ったKIDが最後に屋上を見たとき、気のせいのはずだが…そこになぜだが実家にいるはずの『キッド』を見た気がした。
















つかの間、静寂を破った白い怪盗がいた空間に、ひとつの影が現れた。
白い足、黒い毛、…蒼い瞳。
首に鈍く光るシルバーの飾り。
尻尾を揺らし、体重を感じさせない動きで歩く犬が、月光を浴びて一歩一歩進んでいく。
意思を秘めた口元がぐっと引き締まり、そしてある一点で立ち止まった。


KIDが立っていた位置から眼下に広がる光の粒々を見下ろし、睨みつけて、微かにうなり声を上げた。



闇の中で、誰かがひそかに哂う気配がした。

















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(2004/06/11)