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とある裏路地の相談席
(前編)
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ある路地の奥、知っている人でないと足を踏みいれないような場所にその喫茶店はあった。
マスターはまだ若い青年。薄いフレームレスの眼鏡をかけて、制服のシャツと濃い茶色のエプロンがとても良く似合っていた。
また彼の淹れたコーヒーは舌の肥えた客をもうならせるもので、それは本人曰く趣味で長年いろいろなポイントにこだわって淹れ続けたものが受け入れられたのだという。
店内の音楽や品の良い調度品、壁の絵など、全体的にいかにも落ち着いた雰囲気であり、立地の割りにはその店を訪れる客足は決して絶えることはなかった。
コーヒーや紅茶が主であるが注文されれば軽食も出すし、甘いものも常に用意してある。閉店間際の店では顔なじみが集まって酒を飲むこともあった。
女の子同士でおしゃべりするテーブル席、なぜか険悪な雰囲気ながらもお互いに席を立とうとしない男女、反対に仲むつまじくいちゃこらする夫婦などが狭くはないが広くもない店内に点在している。
しかし良く良く観察してみれば、その店には少しそぐわないような薬学書を読みふける少女の客や、スーツを着込んだ強面の男たちの姿がある。
男たちは決まってカウンターに陣取り、カップを取り上げなれた手つきでコーヒーを出すマスターになにやら長い時間をかけて何かを話してゆく。
マスターはそれを聞きつつ時折言葉を挟み、考えるそぶりをした後何かを告げるとそれを受けた男たちはほっとしたように表情を緩めてうなずき、店を出て行くのだった。
しかも男たちというのはそれが複数であることを示している。
恰幅のいい帽子をかぶった男やいつも何かを食べる男、ひょろりとした青年、目つきの鋭い美人の女性などさまざまだ。
共通しているのは彼らは店に用があってくるというよりはマスターに用があるということだった。

黒羽快斗はそこの静かな空気が気にいって月に数回はそこに通っていたが、未だにマスターの青年とまともに言葉を交わしたことは少ない。
話したければテーブル席ではなくカウンターに座れば良いのだが、すでに出来上がっていた不文律というものは怖ろしくて店にはいると自然と足は窓際のテーブル席に向かってしまう。そこに座って雑誌を読んだり客たちを観察するのが快斗の趣味だった。因みに、例の強面の男たちが座るカウンター席を相談席と呼んでいた。注文するものも決まっているから、マスターは快斗の顔を見ると心得たように砂糖ひとつとミルクみっつ、そしてクッキーを添えたコーヒーを持ってきてくれるのだった。内心、快斗はもう少し甘い物があればなあ、と思う。


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最初に声をかけたのはマスターだった。快斗がある日、文化祭の準備が終わった後に珍しく店に寄ったときだ。もう遅かったのでコーヒーではなく紅茶にした。意外そうに眉を上げたマスターは黙って準備を始め、快斗はその間ポケットに入っていたトランプに何気なく手を触れていた。何も考えないまま手が動き、カードをシャッフルする。そのままトランプを指の間から増やしたり消したりと文化祭でも披露するマジックを練習していた。
そのとき、『すごいな』とマスターが話しかけてきた。つい夢中になっていた快斗はびっくりして顔を上げたが、そこに楽しそうな微笑が浮かんでいたので、思わず他にもできます、なんていってその場で即席マジックショーが始まったのだった。終わった後で『江古田の生徒だよな?それ、文化祭でやるのか?』とずばり当てられ、快斗は驚いた。あんまり驚いていたからだろう。それ、と制服を指差され『それに今度文化祭なのって江古田くらいだろ』と笑われる。
その時に出したガーベラが一輪挿しの花瓶に収まってカウンター席に置かれていたのは、次にきたときに気がついてちょっと嬉しくなったりしたけれどその日店には来客が多くて、話しかけることはできなかった。
そのうちに文化祭が近付いて準備がますます忙しくなり、快斗の足は店から遠のいてしまっていた。
その味を思い出したのは文化祭も無事に終わり疲れて眠った次の日の昼、自分でコーヒーを淹れた時だ。ああ飲みたいなと思い、そしてその流れで自然とマスターの顔を思い浮かべて会いたいなとも思った。それでその日の午後には約3週間ぶりに喫茶店へと向かった。

そして快斗は今、望みのコーヒーを飲んでいる。マスターは快斗の顔を見ると久しぶりだな、と気さくに声をかけてきた。足が遠のいていたことをいいわけめいた口調でぼそぼそと語ると知ってる、と意味ありげに笑いながらコーヒーを淹れ始める。いつもどおりに添えられたクッキーの他に小さなチョコレートもついていたのが疲れた身体に嬉しかった。高校生と言えども三日間にわたって繰り広げた祭りの後にはなかなか気分が切り替えられないし、疲れもたまるものなのだ。今日が休みなのは学校側のありがたい配慮だ。
やがて客がまばらになってきたころに、マスターが追加のコーヒーをもってきた。
「ほらこれ」
ひらりと見せられたそれには見慣れた校舎と自分の顔。
「って、ええぇ!?もしかして来たんですか!?」
「来てもいい、って言ってたからさ」
悪戯っぽく笑った顔は写真入のマジックショー開催の吹き出しをつけたチラシをもってとっても楽しそうだった。
「そういやそうでしたね、俺…あ、いや別に嫌だったんじゃなくて本当に来てくれるとは思ってなかったんで」
「一度店で見せてもらったとき、すごいなって思ったから。実際大したもんだったよ。将来はプロを目指すのか?」
「まだ憧れてるくらいですけど…」
「無責任なことを言うようだけど、君なら行けるんじゃないかな。もうパフォーマンスなんか立派なもんだったし。がんばれよ?」
コーヒーくらいはいつでもごちそうしてやるよ、とマスターはまた笑った。
快斗は名前も知らないマスターが快斗のマジックショーを見にきてくれたことが純粋に嬉しかった。高校生に混じってマスターは快斗のショーを見たのだろう。いくつかのタネを見破っていたらしく、それでも楽しかったという言葉が胸に残った。
チョコレートはマスターからのご褒美だろう。
マジシャンとしての道を応援してくれたことは話半分に聞いても少々照れくさい。まだ漠然と考えている未来だけれど、大人に手放しで褒められるのはなかなかないことなので気持ちが明るくなる。
結局ずいぶん話し込んでしまい、店を出たころには辺りは暗くなっていた。


「あ、また名前聞き損ねた…」
それを思い出したのは家に帰り着いてからだ。マスター一人で切り盛りする店のためか、彼は名札の類をつけていない。用があればマスター、の一言で済むのだが、それでもこれだけ通っているのに名前を知らないのが少しさびしかった。
しかし次にでもさりげなく聞けばいいこと。知らず鼻歌を歌っていて母に『浮かれてるのね』と言われてしまった。


**********


うっかりとその喫茶店のことを漏らすと幼馴染は連れて行けとばかりに可愛らしくねだり続けた。根負けした快斗は二人で連れ立ってその店へ行くことになった。
平日に訪れるのは常にないことだ。店のドアを鳴らしながら開けると、すでにほとんどの席は埋まっていて少しびっくりした。退社時間と重なったためか、サラリーマンやOLの姿が目立つが、快斗たちのような高校生や中学生も多く、マスターは忙しそうに立ち働いている。
運よくあいていたいつもの席にすべりこんだ快斗たちは青子がいるためだろう、注文をとりに来たマスターにそれぞれコーヒーを注文する。
「ケーキはないの?」
「こら青子っ」
無邪気に質問した青子を嗜めるように呼んだがマスターは笑顔を崩さずにありますよと答えてくれた。
「ただしチーズケーキとパウンドケーキしか残ってないですね。甘いものも増やしてほしいってお客さんが多いものですから仕入れたんですけど、残ってしまうと困りますから数が少ないんです」
申し訳ございません、と丁寧に教えてくれたのは前からあったっけ?と不思議そうな顔をした快斗のためだろう。なるほど女の子は甘いものが好きだ。おそらくはマスターのかもし出す柔らかそうな雰囲気が評判を呼んだのだろう。そして甘い物好きの快斗としても歓迎すべき事柄だった。
注文をとり終えるとマスターは次に入ってきた客の応対に追われている。あまり忙しそうなのでアルバイトを雇ったりしないのかなあとぼんやり考えた。
「ねね、あのマスターさん快斗に似てない?」
「えー?そおかあ?」
青子に言われて快斗は首をかしげた。
「似てるって!なんか快斗から癖っ毛をとってオトナにした感じ!」
楽しそうにはしゃぐ青子にそれは俺がガキだっつーことか、お前のほうがガキだろとその場で普段の掛け合い漫才が始まった。

そしてしばらくして客足が落ち着いたころ、一人の客がカウンターの相談席に座った。お?と思ったがそれは今まで見たことのない男だった。
色黒の整った顔立ちで、地声が大きいらしく聞こえてくる言葉は関西弁だ。親しげにマスターに話しかけてはさかんに笑っている。快斗が驚いたのはマスターの応対だった。あからさまに迷惑そうな顔をしているが時々笑うし、そのくせきちんとコーヒーとクッキーを出している。砂糖なし、ミルクふたつ。
好みを知り尽くしている印象だった。
普段の接客のときの営業用の笑顔ではなく、こちらがたぶん彼の素なのだろうと思われる。
知らず観察していた快斗に青子が不思議そうな顔をしていたのであわてて『相談席』の由来を教えてやった。でもあの男は『相談』をしに来たわけではなさそうだ。
あんまり観察していると勘の良いマスターに気がつかれてしまうので快斗は青子とのおしゃべりに戻った。それでも内心は相談席が気になって仕方がない。
どういうことだろう?

その関西男は快斗たちが帰る頃になってもまだ楽しそうにコーヒーのお代わりを飲んでいた。マスターは快斗たちを高校生のカップルと思ったのだろう。レジに立ったマスターは快斗には終始営業用の態度を保っていたが、快斗が青子の分のお金を払おうとするとちょっと悪戯っぽく笑いながら次からどうぞ、と二人に割引券を渡してくれた。ついでにこっそり飴をくれたりもして。
その帰り道、青子がいい人だねと感動しまっくたのは言うまでもない。


結局のところ、マスターとあの関西男はどういう関係なのだろう。
タイプが違うように見えた二人だが、それでも気心が知れた仲というか、つまりは親しい友達というふうに感じられた。
一方快斗はマスターのプライベートはおろか、名前すら知らない。店にいればいつもいる、けれどマスターは店に住んでいるわけではない、当然。所詮は店長と客の間柄なのだ。
我知らず落ち込むのを感じた。
あの男がマスターと話すところを眺めるのなら、しばらく店には行きたくない。
なぜそう感じるのかについては快斗は答えを見出せそうになかった。





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(06/09/24)
パラレル喫茶店店長。こんな店があったら通います(きっぱり)
ちなみに冒頭の客たちはM氏の周辺の方々だったりしますw