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とある裏路地の相談室
(後編)
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偶然とは時に怖ろしいもので、物事は起こってほしくないときに起こったりするものだ。そして会いたくないときに会いたくない人と会うというのも典型的な例かもしれない。
快斗は今、まさにそんな心境だった。まさか学校帰りにふらりと立ち寄ったコンビニでその人と出くわすとは思っても見なかったのだ。しかもここは駅前と言うわけではないので店内客も少ない。知り合いに出会う率は少ないはずなのだが。相手の方も意外は意外だったらしいが、こちらは屈託なく快斗に挨拶して来た。いつものフレームレスの眼鏡にラフな格好の上下。ジーンズをはいているマスターは初めて見たかもしれない。なんというか、新鮮だ。
「黒羽くん今帰り?」
気さくに尋ねてきちゃったりして。てゆーか、
「ええ、まあ…マスターこそ店はどうしたんですか?」
「ガスの点検日。ついでだから棚卸しもかねて久々の定休日に…って十日ほど前から張り紙はっといたんだけど、黒羽くんはここのところご無沙汰だったみたいだね」
そういわれては苦笑するしかない。テストが近いので、と無難な答えを返していると学生も大変だねと真面目にねぎらわれてしまった。もともとテスト前の勉強などほとんどせずに受けているものだから余計に居心地が悪い。
「そういやマスターはこの辺に住んでるんですか?」
そう聞いたのはマスターが鞄も持っておらず、快斗同様たまたま立ち寄った風に見えたためだ。
「いや、自宅は二駅向こうなんだけど、今日はこのへんの友人に会いにね」
また快斗のしらないマスターが現れた。友人とはこの前の関西の男だろうか?
「黒羽くん?」
我知らず表情の翳った快斗を気遣うようにマスターが声をかけた、そのとき。
「手を上げろ!!」
「!?」
覆面で顔を隠して銃を構えた大柄の男が、ドラマのようなせりふを言いながらそこに立っていた。
上がりかけた悲鳴をかき消すように金を出せ、と男が怒鳴る。店内の客はみな凍りついたように動かない。これはドラマの撮影などではなくて現実なのだ。そう悟るには時間が必要だった。
男の振り回す銃口が客の誰かを向くたびに彼らは震えた。
情けないが快斗もまたそのうちの一人で、頭が真っ白だった。コンビニ強盗なんてものに遭遇したのは生まれて初めてだ。どうすればいいのかすらわからない。
だが隣に立つマスターは、他の客とは少し様子が違った。男が入ってきた瞬間に目つきが険しくなり、それ以降は黙って男を見つめていた。それはどこか観察するような瞳で。
男がレジの近くに立つ店員に向かって早くしろと迫ったとき、マスターは小声で快斗に囁いた。
「…黒羽くん、なにか人目を引くマジック、できるか?」
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男は焦っていた。もとは運転手をしていたが、不況のおりにクビにされて以来まともな職につけたことはなかった。職業安定所に通う日々は長く憂鬱だった。どうせこの年では働かせてくれるところも少ない。給料も少ない。それでも骨身を削って働かされ、そしてやがてはまたクビになる。働きたくない。しかし働かねば自分はもちろん家族も食ってはいけない。そうだ、女房がもっと稼げば俺は働かなくてもいいのに――。しかし働きつかれた女房はリストラされた男と口論になることもしばしばだった。
さらに嫌になり男は酒に浸った。酒を飲んで酔っ払っている間だけは楽しい気分でいられたからだ。それが逃避であるとは考えつきもしなかった。
女房は子どもをつれてある日出て行った。滞納がひどくなったためガスや水道も止められる寸前だ。そして極めつけは先ほどかかってきた電話だった。
先日面接を受けた会社の、不採用を告げる内容だった。寝ぼけながら電話を取った男は一言も発せないまま、事務的な口調で不採用を告げて切れた通話口をぼんやりと眺めた。しだいに悔しさと怒りが追いついてきて、男は発作的に立ち上がった。横にあった酒瓶がすでに一滴も残っていなかったことが怒りをさらに助長した。たんすの中からずいぶん前に手に入れたある物をつかみ、そのままの勢いで家を飛び出して近所のコンビニのドアをくぐる。
「手を上げろ!!」
店員も客も全てが自分の言う通りに従った。
男は快感に酔った。これほどの興奮は久しぶりだった。
レジの中には金がいっぱい詰まっている。金が。これでまたうまい酒が飲める。
もっと早くにこうすれば良かった。
その時男はレジの金に夢中で、背後にいた二人の青年――片方は少年だったが――の動きに気がついていなかった。たまたま振り向いた男は青年の方が音もなく近寄ってきていることに驚き、とっさに銃を向けた。
「おい!何してるんだ、戻れ!戻れっ!!」
「そんなちゃちなモデルガンじゃ俺の目はごまかせねーぜ?」
「っ!」
青年が挑発するように笑みを浮かべて言った。男は内心でぎくりとした。確かにこれは自分の趣味で集めていたモデルガンの内の一つだったからだ。
動揺したのを悟られまいと男はさらに声を荒げた。
「黙れ!早く金を渡せっ!!」
ほえるように店員に要求したとき、店内の中ほどから急にぽん、という大きな音がして大量の花が溢れだした。驚く客たちの中には先ほどの少年が混じっている。
男は極度の緊張状態から突然の出来事に対応できず、固まった。
それを逃さずに青年は男の死角に回り込む。うめいて後ろを振り返った男はわけのわからない事態にパニックに陥り、とにかくがむしゃらに腕を振りまわして青年に掴みかかろうとしたがそのとき肩に何かが当たった。
青年は流れるように体勢を崩して倒れかけた男の手首をつかんで後ろにまわし、抵抗できない体勢に纏め上げる。
それはまるで慣れた動作で、一瞬の内に決着がついていた。
「工藤くん!無事かい?」
すでに警察に犯人は引き渡され、簡単な事情聴取が行われているところである。
やってきた警察の中に『相談席』で見かけたことがある背の高い青年を見つけて、快斗は合点がいった。そうか、相談席に座っていた彼らは全て警察だったのだ。
以前快斗の素性を見破ったのも、さきほど素人目には違いなどわからなかったモデルガンをあっさりと見抜いたことも、犯人を取り押さえたときの手際の良さも、見慣れている、やりなれているということだろう。
推理力があるために警察関係者が『相談』にきていたということか。
つまりは、名探偵なのだ。
ほとんど感動といっていいほどの様子でマスターを遠めに眺めていた快斗はマスターと青年がこちらへ近づいてくるのを見て我に返った。
「サンキュな、黒羽くん」
「ご協力に感謝します」
大の大人に頭を下げられて快斗は恐縮する。だいたい、犯人をつかまえたのはマスターだし。
「あ、いえ…そんな役に立ってないですし」
「そんなことないぜ。あそこで黒羽くんが犯人の気を引いてくれたから俺でも抑えられたんだ。特に最後に投げてくれたのは助かった」
マスターに肩を叩かれて、快斗は思わず照れた。
あの時はどうにかして手助けしなければ、と必死だったのだ。
喫茶店にいるときのように柔らかく微笑むとマスターはそれだけで人を落ち着かせることができる。
マスターは青年刑事に向き直って店のお客さんだ、と説明している。少しの切なさをもって快斗はそれを聞いた。たぶんそれは、ついに自分で聞くことのかなわなかったオーナーの名前をあっさりと知ってしまったためだろう。普段ならどこの乙女か、とつっこみたくなるような考えだが、快斗はそれはそれでマスターの持つ謎の一部分として興味を感じていたのだ。
そう、興味がある。
始まりは『相談席』の客たちの素性だったけれどそれは次第にマスターへの興味へと変わってきていた。
なぜ警察に頼りにされるほどの推理力を持ちながら喫茶店のマスターに収まっているのか、とか。
コーヒー以外の好きな物とか、いつかの友人のこととか、
名前であるとか。
きっと自分はこれからも喫茶店に通うだろう。
今度はマスターのことを知りに。
帰り道、快斗は思い切ってマスターにあることを持ちかけた。
そして、今。
「マスターこんちは!」
「早かったな、ゆっくりしててもいいぞー」
フレームレスの眼鏡をかけた青年がドアを鳴らして飛び込んできた癖毛の少年に声をかけた。青年よりも一回り年下の高校生は答えながらもそそくさと揃いのエプロンを身につける。
彼らはマスターとアルバイトであり、良く似ているために親戚かと間違われるがそうではない。
マスターは相談席に座る客には丁寧に話し込んで応対するし、その間バイトの少年は常連客にもそうでない客にもマスター直伝のコーヒーをゆっくりと注ぐ。その味はマスターに近いけれど、まだまだだと常連は笑う。それでもバイトが入ってマスターの顔に刻まれる疲れのしわはずいぶんと減った。そのことに気がついているから客も少年も嬉しそうに笑うのだ。
そんな風景が見られるようになったくらいで、裏通りの喫茶店は変わらず客を迎え入れている。
ただ、その喫茶店のメニューにケーキの種類が加わり豊富になったことは言うまでもない。
END
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(06/10/03)
急展開。快斗くんかなり大胆に懐に飛び込みましたね!
しかし実はまだ無自覚です。さて、これからどうなるのか?(←書けよ)