※この作品は小泉八雲著の『怪談』に収録の『耳なし芳一』の設定に基づいた二重パロディとなっております。苦手な方はご注意ください。

-----------------------------

三人宴 〜 十五夜 〜
(前編)
-----------------------------



昔むかし、あるところに新一という名の琵琶弾きの名手がいました。
彼の琵琶は聴く者の心を激しく動かし、唄ううたは静かに解きほぐす様だといわれていました。
ある黄昏時に彼は街角に座り、よく一般的に聞かれる曲を奏で始めます。
それを聞いた民は次々と仕事帰りの足を止め、曲に聞き入ります。
時は貴族たちの世から移ろい、今は落ち武者となった者たちが時折町民たちに混じって彼の奏でる音楽を聴き、密かに往時を偲んで袖を濡らすこともありました。
また何も知らない子どもであっても聞いているうちに何かしら心に迫ってくるような、旋律やうたの調子がなんとも言えず秀逸なものでした。
叙情的な曲であればあるほど、思わず目が潤んでしまう、そんな音楽を奏でることができたのです。
新一には左様に、人の心の琴線に触れる音楽の才がありました。整った顔、白い肌に黒い髪が良く映え、着た物がたとえ立派な法衣でなくとも彼は人の心を捉えてやまないものをもっていました。
しかし恵まれた容姿や才と引き換えにか、彼は盲目であったのです。
盲目の琵琶法師として新一の名はその地域では知らぬ者はいないほどのものでした。





ある晩のこと、身を寄せているある寺にて、新一は静かに琵琶を弾いていました。誰に聴かせるでもなく、ただ己の手が動くにまかせた名もない曲でした。新一の目には当然映ってはいないものの、その夜は十五夜で、少し霞がかかった月に琵琶の音が響く様子はこの世のものとは思われない空間を作り出していました。
そこへ、
「そろそろ夕餉を」
声とともにすっと障子が開き、そこには中年に差し掛かる年頃の男が盆を持って立っていました。
「ああ…すまない、盗一殿。食事のことを忘れていました」
琵琶を弾く手を止め、新一は盗一の声のするほうへ向かって頭を下げました。
「そんなところだろうと思って御座った。相変わらずのこと…。余りの琵琶である故声をかけづらかったが」
盗一と呼ばれた住職は笑いながら盆を新一の前に置き、自身も酒の入った徳利と小さな杯を床に置きます。
「それよりも水くさいな、昔のように父上と呼んでくれぬものか」
許してもらえるならば、と控えめに言い足すのを盗一はもちろんと笑いました。
「今夜は十五夜だ。先程の曲は即興だろう?後ほどゆっくりと楽しみたいものだ」
楽しそうに言う盗一は、新一が子どもの頃から良く知っています。生まれて間もなく寺の前に捨てられていた赤子の新一を引き取って育ててくれた、親代わりのような存在でした。琵琶の手ほどきもまた盗一の手によるものでした。
「ああ、どうりで生き物の気配が濃いと思いました」
新一は静かに笑いました。目が見えない分、彼は他の気配に敏感なところがありました。
盗一の変わったところは初めから捨て子であることを新一に隠していなかったことです。目が見えない新一には顔の造作などは判らないし、傍目に見ている分には彼らは親子といっても通じるくらいに似通っていました。しかし盗一は幼いからといって下手な隠し立てはせず、むしろ新一が周りよりも聡いことを見て取って早い段階で真実を告げていたのです。
それを批判することは容易いけれど、どうしていつかは真実を知る日が来る、それならば最初から隠し事をしないほうが良い――というのが盗一の言でした。盗一には妻もおり、彼女を気遣ったと邪推する者もいましたが、とにかく新一は養い子として清い心のまますくすくと育ちました。
人の涙を誘う演奏ができるのは皮肉にも、その生い立ちのためなのかもしれません。
「ずいぶん背が伸びた。ほんに、健やかで良きことよ・・・」
髪をなでる手に黙って委ねる新一を盗一は穏やかに見つめました。子を慈しむ、親の目でした。
十を少し過ぎた頃、新一は盗一の手を離れ、琵琶を弾く師匠のところへ住み込んで働くことになりました。実際には彼の琵琶に惚れ込んだ琵琶弾きが、ぜひこの子を預からせてくれと頼み込んできたのです。これまでにも見た目が可愛らしく、賢い新一には金持ちの子がない夫婦などから同様の申し出が幾つもあったのですが、すべて盗一は断っていました。けれど、琵琶弾きの老人の、『琵琶をもっと弾けるようにきちんと指導する。琵琶や音楽の才を伸ばしてやることが、この子の将来に繋がるのじゃ』という説得に肯き、新一は阿笠というその琵琶弾きの元へ行くことになったのです。
それから数年の後、街角で琵琶をひいては人々を感動させ、噂になるようになった新一は続いてあちこちの村を回り、今夜久しぶりに育った寺を訪ねてきたのです。
「私たちは二人とも、お前が帰ってきてくれて嬉しいよ」
「こちらこそ、ご無沙汰しておりました。お変わりがないようで安心いたしました」
養い親はどちらも健在で、新一の来訪を歓迎していました。
新一は今年、数えで十八になります。馴染んだ寺を歩く様子は目が見えないとは思えないようなしっかりとした足取りでした。
それでも何年も立ち入っていない庭は新たな気配で満ちています。そして、もうひとつ。
「ところで・・・先程からどなたか、おられるようですが・・・?」
疑問を含んだ声音に、養い親は苦笑を浮かべて答えます。
「ああ、いつ紹介しようかと思っていたところだ。さすがだな。・・・入りなさい」
「初めてお目にかかりまする!」
障子を開ける音とともに、先程からその向こうに鎮座していた小さな気配が大声で名乗りを上げました。
「快斗と申します!」
「こりゃ、前に出て挨拶しなさい」
「あっ、そうでした。ごめんなさい」
緊張で部屋に入るなり名乗ってしまった子どもが、叱られると素直に謝って新一の正面まで回ってきました。
「新一、これは名を快斗という。倅だ」
「よろしく申し上げます。兄上のことは以前からよう聞いておりました」
ぺこりと頭を下げる快斗は父親の盗一に良く似た、七歳ほどの子どもでした。
新一はゆるやかに笑み、優しく話しかけます。
「こちらこそ、お初にお目にかかる。元気がよろしくて良いお子だな。私の名は新一という。私に弟ができたとは、初めて聞き申した」
最後の言葉は養い親に向けた言葉。
めったに寄ってくれないからさ、と笑われ、わずかに口を尖らす様子は年齢に応じているようです。
快斗はといえば、楽しそうな父親の様子と目の前の優しい人にすっかり緊張も解け、そこからは快斗を交えた宴が始まりました。







↑目次  →次頁2




(06/11/08)
パラレル和風もの。冒頭の注意書きどおり、これは耳なし芳一(小泉八雲『怪談』耳なし芳一より)の設定を借りたパロディとなっております。まあ展開とかは違いますので設定のみということになりますが。
盲目の琵琶法師と寺の住職、小僧の設定が好きですv
いいなあ和風もの。たまらん。こう、着物ってよくないですか?(聞くな)