さようなら
「ねえねえしんいちー」
「…なんだよ、快斗。」
足にまとわりつく感触と一緒に甘えた声が上がって、新一は口だけはぞんざいに答えた。
しかしわずかに表情が緩み、言葉でいうほどには機嫌が悪くない、ということがわかる。
快斗と呼ばれた小さな子どももそれはわかっていて、「遊ぼうよー」と更に新一の足に懐いた。
普段なら読書中の新一の邪魔をすれば、容赦なく蹴られるとか、冷たい一瞥を投げられるとか、ずばっと「邪魔」と言われるか、どれにしろあまりいい反応は返ってこない。
けれど今日は、なぜかあきれたような、困ったような顔をするだけでそのまま足に懐かれたままの状態でいてくれる。
それは珍しいことで、そして快斗は新一のそばにいれるだけで嬉しいから、それで思う存分に甘えた後はソファに上って新一の隣に座る。
春も間近で、あったかい陽射しが心地よい。
忙しい新一が家にいる、
そしてその隣には快斗がいる。
快斗にとっては、幸せで大切な、ひととき。
「快斗、……あれ、寝てる」
やたら嬉しそうに隣に座った子どもが大人しくなったと思ったら、静かに寝息を立てていた。
「快斗、わかってんのか?」
さようなら、なんだぞ?
そして、はた、と気づく。
「意味、教えて…なかったか」
さようならなんて言葉、自分たちの間では一度も使ったりしなかった。
「なんで? おれ、力があったからしんいちに会えたのに?」
不意に、寝ていると思っていた快斗が新一の独り言に答えた。
続けて、
「ねえ、しんいち。さっき言ってた『さようなら』ってどういう意味?」
心底不思議そうな眼が、隣にある。
「そうだな…。また会うときまで、っていう挨拶の一種」
「…。行ってきます、みたいな?」
「近い、な。けど哀しい言葉だから、あんまり使わない」
「?? 哀しいの?」
「…わかんなかったら、いいんだよ。寝てろ」
できるかぎり普段どおりにそっけなく、返して。
普段どおりに微笑んでみせたら。
「しんいち、大好き…」
ぎゅっと抱きついてくる子どもを強く抱きしめてやった。
「なあ、快斗。さようなら、」
そう言ってはみるけれど、子どもが眠りながら、あんまり嬉しそうに笑うから。
「…」
「…さようなら、快斗…」
もうすぐ、係りの人間が家に快斗を迎えに来る。
ほんとうに、あとわずかの時間。
けれど、今のこの幸せを、いつまでも覚えていたい――。