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とある裏路地の相談室
(番外編)
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敬愛するシャーロック・ホームズ氏について俺は時々深く考えることがある。彼は果たして探偵だから謎を解くのか、謎を解くから探偵なのかと。
それは鶏と卵のようなもので、小説の中で彼はワトソンと住居を構えており、そこへ依頼人とともに事件がやってくるのだ。しかしホームズが子供の頃はどうだったのだろう?彼は子どもの頃から名探偵だったのだろうか?そしてその称号にふさわしいような謎があったのか?
コナンドイルが生み出した世紀の名探偵は長いこと俺の理想の姿だった。それはホームズが必ず真実を見抜くからでもあったが、一面彼は探偵に要らないと判断した知識は一切を切り捨てている。その潔さが、まぶしく思えた。普通の人間はああはならない。あそこまで謎を解くことに一生を捧げはしない。
そうできれば、少なくとも謎が好きな俺にとっては幸せなのかもしれない。
けれど俺はそれを選ぶことはできなかった。
「よぉ工藤!久しぶりやな!」
遠慮もまるでない様子でカウンター席についた服部は屈託のない笑顔でいつものやつ、と注文した。俺はもうすっかり慣れた流れでコーヒーメーカーから落ちる香りを楽しみつつ服部に出してやった。砂糖は要らない、ミルクは多めだ。
昔と変わらない軽口の応酬をするうちに自然に顔がほころぶのを感じる。
昔と言っても服部と会ったのは高校生で、お互いに探偵を名乗っていた頃だ。まったく違う性格ながらも俺にしては長い付き合いができているのは、俺と同じように探偵として活動していた服部を認めているからだろう。もっとも口には絶対に出さないけれど。
服部もそこのところは長い付き合いでわかっているのかもしれない。つまるところ、気安い関係だ。
客が少ない時間帯のため、服部の前にコーヒーを出すとそのまま座る。
「んで今日は何の用だよ」
「つれないやっちゃなあ、今日は久々に非番やねん」
服部は父親と同じように刑事になった。犯罪を憎み、犯人を掴まえて被害者を減らすことを目標にする刑事という職業は服部に向いていると思う。
熱い探偵と評された性格はそのままのようだ。わざわざ休日を使って昔なじみに会いにきてくれるのはありがたい話である。
「へえ、売り上げに貢献してくれるんだな。ならコーヒーのお代わりは自腹でな」
「胃に穴開くやんけ。俺の胃を大切にせえよ。そうやな、食うならケーキがええな」
「ケーキはないぞ。…なんだみんなそんなにケーキが好きかよ」
「お前な、ケーキのない喫茶店なんてありえへんねんぞ!」
おどけた物言いに呆れて笑う。ほんの少しだけ、高校生に戻った気がする。
その後、今度また大阪に遊びに来いや、と言い残して服部は帰った。
そんなやりとりがあって十日後か、店のメニューにケーキセットの文字が追加された。
客のニーズに応えてと言うやつだ。試験的なものだから、シンプルなチーズケーキを一種類だけ。
服部の言葉と、薬学所を愛読する隣の少女の言葉が決め手である。
受け入れられるかどうかはわからなかったのだが、その後急激に女性客が増えたので、ああみんな食べたかったんだなと実感した。俺にはそんな発想はないし、店の客は男性が多かったから気がつかなかったのだ。
意外ながらその男性客も注文する姿が目立っていた。しかもそこはかとなく嬉しそうだ。喫茶店と言うものは苦めのコーヒーと甘いケーキがセットであるべきである、と客たちの表情が言っていた。それで俺は真剣に種類を増やすことを検討した。
次に服部が来たときにからかわれるかもしれないなと思いながらも、ちょっとだけ感謝である。
こうやって穏やかで世間から引っ込んだ生活をしている限り、事件は起こらない。仕事の上で出かけることはあるが、旅行は何年もしていない。
別にそれに不満があるわけでは全然なく、むしろ注文した本をゆっくりと家でめくる時間と言うものは、事件に駆け回っていた頃と比べようもないほどに貴重だ。
それでも親しくしていた警察の人たちは個人的に店を訪れ、詳細は伏せながらも困難な事件に関する助言を求めてくる。そこに付随する謎は非常に魅惑的で、それが難しければ難しいほど俺はそこにひきこまれる。
謎を解くのは楽しい。けれど、世の中には謎のままにしておいた方がいいこともあることも知っている。
俺がホームズ氏について思うのは、彼が名探偵であったが故に超えなければならなかった傷である。
名探偵は事件が起こった後で登場する。
時には殺人が起こったその場所に立つだけで全てを見抜くことができる。
犯人の心も、その行動も、動機さえも。
それならばなぜそれを食い止められなかったのか?
図ったように偶然に事件にたどり着くのはどれくらいの確率なのか?
事件は彼の所為ではない。だが彼がそこにいたというだけで殺人を引き起こすような因子を持っているのではないか?
彼は悪くない。しかし彼を恨む人は消えない。
そしてもうひとつ。
名探偵は…悔やんではいけない。
人が隠したいと思っている秘密をさらけ出してしまうことは、事件の真相を語る上で避けられないこともある。そのせいで壊れてしまう恋人たちや家族の姿はそう珍しくもない。
真実をとるのか、それとも・・・
きっと、誰も正解は知らないのだろうと思う。
だからホームズは悩んだだろうと思うのだ。悩んだ上で、謎を解く。今でも彼は俺の理想であり続けている。
俺は所詮「名探偵」になりきれなかった。
だからこんなところで喫茶店をやりながら、未練がましく謎に惹かれ続けている。
その姿勢を嗤うだろうか?
臆病者だと詰るだろうか?
あの人は。
俺は探偵である限り人の心に隠した秘密を知ることになる。そのことで傷つく人がいても、泣く人がいても、探偵であるということはそういうことなのだ。
だから俺は逃げた。謎に惹かれながら人の心からは逃げて、自分の世界を作り上げた。
店を開いているのはかろうじて、世界と繋がっていたいという自分勝手なわがままに近い。
それでももし、
世の中に、この店に来ることで心を休めることができるひとがいるのならば。
そのとき、俺はここにいてもいいのだと感じる。
そうであればいいと願うのは俺ばかりかもしれないけれど。
それで、俺は今日も店を開けている。
END
(06/11/08)
さて、本編以降の話も書きたいのですが、果たして需要があるのかどうか・・・
このマスター新一は実は結構後ろ向きなんですね。
裏設定としては犯人を推理で追い詰めて死なせてしまったことを悔やみ続けて探偵になれなかった過去があります。(例:月光ソナタ殺人事件)
あと店は儲かってます。しかも常連客ばっかです。コーヒーは神級に旨いです。
更に言えば作中のチーズケーキはマスターお手製だったり。
管理人的には喫茶店店主とバイトは楽しい設定です。