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手紙
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夜空を駆けるレトロな白い怪盗と、それを追いかけるクールな名探偵とは、きっと切っても切れない絆があるのだろう。
5年前、大学で再会したかつてのライバルを見て快斗はそう思った。
そのときはまさか何年かあとにそういう関係になるとは思っていなかった。
快斗は女の子が好きだ。多くの女の子に甘い言葉をかけて遊んだが、不思議と彼女たちに恨まれることは少なかった。それは快斗のキャラクターによるものと、遊びと割り切った彼女たちの態度からそうなるのだろう。
しかし純粋な幼馴染の彼女に対しては清い関係のままで、それはとても大切にしていることの証だった。
話しかけてみれば何のことはない、ごく普通の青年だった工藤新一とのつきあいはなんだかんだといって5年目だ。長かったようで早い、そんな日々の間に確かに自分たちはずいぶんと歩み寄ったと思う。
新一がすでに怪盗の正体を俺だと看破していたのはさすがというべきか。
そしてその上で親友として過ごしていけたのも、俺たちがお互いに居心地がいと思える関係を作り上げていたからだ。
ライバルとして出遭って、大学で再会し、いつもつるむようになって、その延長線上で一緒に寝た。
いろんな女の子と付き合いながらも新一の家に泊まったり、逆に快斗の家に泊まったり。
新一が快斗のことを親友と思っていることは間違いないが、恋人と思っていないこともまた明白だった。第一、新一は青子のことも知っている。お前に似合わない可愛い子だな、と感想を述べていた。身体の関係と割り切った自分たちのことは彼女には内緒にしとけよ、とまでで言った。快斗が新一を愛してるというと、タラシのお前の言う言葉なんか信用できねえ、と笑いながらも腕を伸ばして快斗を誘う。そのギャップがたまらなく好きだった。
大切な彼女は今は就職して、がんばって保育園の先生をやっている。
二人の関係は比較的うまくいっていると思う。同窓会に出席して夫婦漫才を繰り広げるたびに、お前ら早く結婚しちまえよとからかわれる。
一方でたまにふらっと遊びに行って新一の家に泊まることも快斗の生活に組み込まれていた。
社会人となってからは行き来は減ったものの、今でもこうして尋ねればそこにいてくれる。
二人の関係は仲の良い友人だ。そのことはこれからも変わらないし、二人はそれに満足している。
お互いに一緒にいることが楽な相手なのだ。たぶん、それ以上でもそれ以下でもない。
梅雨が降り続く中で、快斗はコンビニで買った傘をさし、近所のスーパーの袋をぶら下げながら勝手知ったるマンションの一室を訪れた。インターホンでめんどくさそうに応えた彼が、招き入れてくれるのを待つ時間が好きだ。オフなのでラフな格好の快斗と違い、彼のほうはまだYシャツにネクタイといういでたちだ。
自分の顔を見て花が開くように笑う顔が好きだった。
そういえば、新一のところを訪れるときにはいつも雨が降ってる気がする。突然降られて今日のように傘を買ったことも何度もある。
傘を見ると新一を連想するのはだからかもしれなかった。
「遅かったな」
「そのぶん、いっぱい買い込んできたからね♪」
「…魚は?」
「う、ナイナイあんなもの」
「ったく、変わんねーな」
ドアが閉まる。料理の得意な快斗が腕を振るい、新一が出してきたさまざまな酒を飲みながら、近況について知らせあう。一ヶ月ぶりの再会で、話す音は尽きなかった。
高校生のときはお互いに厄介な立場を背負って出逢ったのだけれど、今はそれも思い出となって久しい。
快斗はその白い衣装を脱いだし、彼のほうはネクタイを締めて出かけるようになった。
天才マジシャンとしての快斗は日に日に仕事の依頼が絶えない。
新一は某コンピュータ会社に就職して働き、たまに電話で難事件に関する助言をしている。
てっきり専門の探偵として事務所を開くのだろうと思っていたが、なるほど、裏の世界に知れ渡ってしまった工藤新一の名前は確かに危険が多すぎる。
元の姿に戻ったとはいえ、新一が失ったものは大きかったのだろう。
けれど快斗の目から見れば新一はそれなりに毎日を充実して過ごしているように見えたし、実際にそうだと本人も言っていた。
長年の夢をかなえた快斗も順調に成功の階段を上っている。
お互いの生活はかけ離れたものだけれど、それでもたまにこうやって訪れるだけで、満足していた。
久々に訪れたって、以前と変わらない態度で接してくれる。
それも二人が長年の友人だからだ。
友人同士で身体を重ねる。慣れた行為に違和感はない。むしろ女の子にするように長い時間をかけて口説かなくてもいいところが、かえって気楽で楽しかった。
テンポの合う会話。
酒が回って、つまみが追加される。
気の会う友人の二人が、ある瞬間に眼差しを変え、二つの身体が重なり合う。
何も言わなくても分かり合える、優しい時間。
ネクタイ。
きれいな指先。
グラスに少し残った酒。
落ちる闇。
「青子がよ、今度保育園でクラス担当になるんだと。どうしよう快斗ー、って大騒ぎだぜ」
「そっか、すごいじゃねーか。まだ2年目だろ?」
「だよな。今度景気づけに食事でもおごってやるか」
「バーロ、景気づけだけじゃないだろーが」
枕元で交わした、そんな会話。
一緒のベッドで寝ていながら、その会話を交わす二人はもう友人に戻っている。
実を言えば、そんな少し淡白な新一の性質も気に入っている。男同士で甘い雰囲気は必要ない。新一も求めない。
実際には快斗は青子の誕生日を忘れてはおらず、数週間ほどして夜景のきれいな豪華レストランへ青子を誘った。何ヶ月も前から演出を狙っていたのだ。そして渡そうと思っていたものもある。
大学が違ったために交流は減ったが、それでも家族ぐるみの付き合いがなくなったわけではない。
そして青子と家族になることに違和感がない自分がいた。
要するに、自分はタイミングを探していたのだろう。
今も昔も青子は一番大切な女の子だ。
意地っ張りで泣き虫で、そして一番大事なことはちゃんとわかっている彼女。
愛してる。
これから一緒に歩いていくなら、ずっと隣にいてほしい存在だ。
新一と青子を天秤に乗せたことはない。快斗の中で二人は違う次元にいたからだ。
長い長い幼馴染の時間に終わりを告げ、ようやく青子に気持ちを伝えたとき、気の強い彼女は目を潤ませて笑い、そっとうなずいた。
その快斗は、きっと世界一幸せな男だったと自分でも思う。
静かな夜。
リングにこめた気持ち。
隣にいるのは彼女。
これからも、ずっと。
丸のついたカレンダー。
脱ぎ捨てられた白い手袋。
知っているだろうか。
たたんだ、小さな傘の行方。
その次に小雨が降りしきる中、快斗がマンションへ行くとやはり新一は眠そうな顔をしながら快斗に付き合ってくれた。季節は変わり、秋が訪れようとしていた。冷えた身体を温めるよりも前に、新一に伝えたいと思ったのだ。
結婚すると言った快斗を、新一は手放しで喜んでくれた。
普段はそんなに感情をあらわにするほうではないから、それは心からの祝福なのだろう。新一の笑顔に安心していろいろ報告しつつ、快斗は照れた。
怪盗をやっていたころは彼女をだましているという後ろめたさがあったが、それがあったからこその今の幸福に快斗は酔った。
唯一自分を裁くことができた名探偵も、今では親友だ。その点では心中複雑なのかもしれないけれど。
快斗の指にはめられた、エンゲージリングを褒めてくれたのが嬉しかった。
忙しい時間を縫って、二人のために探したものなのだ。
そのお礼でもないけれど、その日はとても時間をかけて、優しくすごした。
二人はライバルで、親友で、そして。
きっと、これからもずっと変わらないのだろう。
細い身体。
白い足首。
赤く染まる耳たぶ。
言葉は、要らない。
幸せそうな彼女。
歩いていく二人。
つないだ手のリング。
すれ違う瞬間。
振り返らないでくれ、迷うから。
それから数週間はお互いに忙しい日々が続いて快斗は新一に会いにいけなかった。急いで会う必要もないけれど、結婚してからは何かと疎遠になるかもしれないし会いたかったから残念だった。それでも次のオフはだいぶ先だった。結婚するという発表は瞬く間に快斗の予定をパーティやら挨拶やらで埋めあげて、ちょっとマネージャーの彼女に不平をもらせば人気があるのはそういうことよ、とすましたように笑われた。もしや彼女なりの嫌がらせか、と一瞬疑ってしまったほどだ。
そこをなんとか、と頼み込んでぎちぎちのスケジュールをあけてもらったオフの時間は、だから真っ先に傘をつかんで電車に飛び乗ったのだ。
雨の降る気配がない夜だった。持ってきた傘の柄を所在無くなでながら、快斗は癖の恐ろしさを実感した。また新一に笑われるだろう。そう考えて歩きながら笑うくらい、快斗は浮かれていた。
やがてマンションの下についたとき、珍しいことに部屋は真っ暗になっていた。
深夜のことだから眠っているのかもしれないが、快斗は戸惑う。宵っ張りの新一だから、いつも明かりが灯っているはずだと根拠のない思い込みがあった。
出かけているのかもしれない。今夜だって連絡なしで訪れたのだから、しかたがない。
そう思いながらもあきらめきれずにエレベータに乗る。
ほんのかすかな、いやな予感が胸の中に染みのように広がっていた。
インターホンを鳴らさないままドアノブを握る。抵抗なく開いたそこに、快斗は息を呑んだ。
暗い室内。
がらんとした――何もない部屋。
見慣れた玄関の横の小さな絵がなかった。
そろえてあるスリッパも。
リビングのソファも。
そこにいるはずの人も。
何もかも。
立ち尽くす快斗はしばらくして、隣の部屋の住人を起こして隣のことを聞いた。
「引っ越したのよ、急に。行き先?さあ、知らないわ。そんなに付き合いのあるほうじゃなかったし」
迷惑そうに答える中には求める情報は入っていなかった。
そうですか、と礼を告げながらも快斗はまだ呆然としていた。
真っ先に考えたのは、例の組織関連で何らかの危険が迫ったということ。
だがそれならば彼の性格上、自分に対して何のメッセージもないのはおかしい。いくら今の自分が一般人だとしても、こんな風に姿を消せば探すのが当然だからだ。それこそ怪盗としての力のすべてを使ってでも。
そんなことは新一とてわかるだろう。危険だととめなければならない。だが、それを阻止するためのメッセージがない。
つまり、それは。
部屋の入り口でたたずんでいた快斗は、やがてその中へ足を踏み入れた。
折りしも満月に近い月明かりが、電灯がなくても室内を皓々と照らし出している。
リビングの窓辺、備え付けのローチェストの上にそれらは並んでいた。
大小さまざまな、傘。
コンビニのビニール傘、大きな男物の傘、折りたたみの傘。
快斗の持ち込んだ傘だった。つい先日、忘れて帰ったばかりの傘もそこに加わっていた。
新一の部屋に積み重なったそれらは、何も言わずに月明かりを受けている。
快斗はいつまでもそうしていた。
新一を理解していたつもりだった。けれども今は何もわからなかった。
彼がそこにいない、快斗の傘だけがここに残っているというだけで、心の中にもこの部屋と同じように空洞の空間ができたような感覚に襲われる。
吐き気がする。
誰か、助けてくれ。
柔らかく拒絶された傘と、その持ち主である自分。
こんなにも動揺する自身が快斗にもわからなかった。
ただ、そこに新一はいない。
信じられない気持ちのまま逃げるように家に帰った快斗が、ようやくおいていかれた傘を受け入れたのは、それから三日後のことになる。
追いかけるぶんだけ、開いた距離。
狭いベッド。
名前のない関係。
俺たちにあったのは、それだけでしたね。
END
(06/08/16)
なんだか悲恋ブームが到来中。