失踪シリーズその5。一覧はこちらからどうぞ
16.言霊


きっと誰もが奇跡を望んでいる。神はいないと知りつつも、人を越えた何者かに祈らずにはいられない。
人はそのとき自身の無力を痛切に感ずるのだ。
ちょうど今の私がそうであるように。


灰原哀は一日中パソコンの画面を眺めてはキーを叩くことを繰り返していた。無数の文字列を表示したウィンドウはふつうの小学生には意味不明のものばかりだ。ただしもし仮に大人がその画面をのぞいたとしても、その文字列の意味を理解し得たかどうかは定かではない。そしてその英語らしきページばかりをのぞいている小学生の少女を不審に思ったかも知れない。
だが彼女は阿笠邸からアクセスしていたし、その場には彼女きりしかいなかったので不審に思う者はいなかった。彼女が英語のページを理解しているのは確かであり、プライベートな空間となっている地下室には阿笠も無断では立ち入らない。

哀はため息をつくとPCをスタンバイにし階上へコーヒーをとりにいくことにした。
階段を半ばまで登った時点で、一階のフロアから大きな声が響いてくる。
「どういうことなんや!?」
関西弁の色黒の青年が、血相を変えて現在の養い親の阿笠に詰め寄っていた。
「わしは…特に…」
「なら俺が直接聞いてきたる!あのちっこい姉ちゃんはどこや!」
阿笠は服部青年の剣幕に押されてはいたが、肝心なことを口にしようとはしなかった。業を煮やした青年が更に問いただそうとしたとき、哀は声を上げた。
「私ならここにいるわよ」
服部は静かに立つ哀を睨んで問うた。
「そこにおったんか」
「別に隠れてたわけではないわ。貴方が何を聞きたいのかはだいたいわかるもの。それと、少し落ち着いて頂戴」
「落ち着けるわけないやろ!」
服部はそう叫んでから僅かに冷静さを取り戻したようだった。
スマン、と小さく謝り、イライラとその場で視線をさまよわせる。
阿笠は心得たようにいったん下がり、コーヒーを3人分持って現れた。

「聞かせてもらおか」待ちきれないように服部は促した。



「勘違いしないでもらいたいんだけど」
ソファに座った哀は開口一番にそう切り出した。
「私は今工藤くんをかくまったりしてないし、居場所も知らないわよ」
「でも、知っとったんやな」
「…ええ。」
肯定。確かに哀は『彼』の『計画』を事前に知っていた。
彼が失踪したという知らせを聞いたとき驚いたし心配したけれど、どこかでこれは彼の『計画』だと感じていた。
来るべき時が来たのだと。
だから友人たちや仲間たち、組織までもが彼が死んだと考えたときも、平静でいられた。
知って、いたから。
「ならなんで言ってくれへんかったんや…心配するやないか。和葉もあの姉ちゃんが落ち込んでるて言うてたし、そもそも、あいつはなんで」
「それ以上は言わないで」
強い口調で遮った哀を服部は驚いたように見つめる。
「あいつ…まさか?」
「ええ…たぶん想像の通りよ。けれど私も全てを話してもらったわけではないの。
ただ、なぜあの彼が何も言わずに消えたのか、考えてみて頂戴」
「…っ」
工藤新一。切れすぎるほど頭の回転が早く、仲間のために自らの身の危険を省みずに守ろうとする面のある、彼自ら姿を消したというならそれは、
「…俺らをまきこまんためか」
「恐らくは」
その一言に詰まった哀の感情を感じ取り、服部は彼女の顔を見上げる。
自分と同じく、苦い表情の。
「巻き込まれたかった…といえば少しは困ったかしらね」
「たぶんな。でもあいつ、どうせ計画は完璧やろ」
確かに、服部には人質に取られる人物が多すぎる。
彼はそんな服部の性格を見抜いていたから、切り捨てられない服部を彼の方で遮断したのだ。
それはある種の優しさともいえる。
「俺は、なんもでけへんのか…」
くそっと拳を自分の膝に降りおろして嘆く服部に哀は心の中で謝罪した。
それを口に言わないことは彼女なりのけじめである。彼の計画を知ったとき、思い切り詰りたくなると同時に感謝を捧げたくなった。
彼は何もかも一人で背負い込もうとして、そして哀に最も危険から遠い役割をふって、最後の舞台へと上がるつもりなのだ。
たった独りで。

喉元まででかかった言葉を彼女は胸に納めた。
言ってもよけい虚しさが増すだけならば、言わない方が良いに決まっている。
それでも言いたい。
逃げ回り、口を閉ざして籠もるだけならば絶対に勝てないのだから。

「…私は、信じてるわ」
「何をや」

他人を信じることなどできなかった過去は、自分もまた信じてはいなかった。
祈ることなど馬鹿馬鹿しいと考えていた。
今は信じることができる人の強さを知っている。

「あの推理バカの謎オタクさんが、持ち帰ろうとする未来を信じてる。私達にできることはきっとあるわ」
例えば、少しでも解毒剤の完成度を上げることや、仲間の安全に気を配ること、彼らに関する情報ならなんでも集めること、それが済んだら…祈ることを。
くしゃりと服部は顔を歪める。
「工藤、絶対…無事で帰ってこい」
きっと彼なら帰ってくる工藤新一の居場所を守り続けるだろう。

手荒い歓迎のひとつも覚悟しておけばいい。

工藤くん。忘れてないかしら?
「これは私の事件でもあるのよ」

だから、ひとりで戦わないで。…死なないで。


カップの中のコーヒーが勢いよく飲み干された。



#口に出してはいけない言葉と、口にすることで信られじる言葉。
(2007/04/18)


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17.地を這う声

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18.白い影

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19.離れぬ想い

リビングの扉を開けると、こちらに背を向けたソファの端から足がのびているのが見えた。
「名探偵?」
呼びかけてみるけれど足の持ち主からの返事はない。
回り込んでいくと、シャツにジーンズと言うラフな格好で、胸の辺りにホームズの原書を置いたまま眠っている東の名探偵の姿が現れた。
「無防備、だよなー…」
ちょっと笑って、KIDは起こさないようにそっとソファの横に座り込んだ。ついでにシルクハットをとって上着を脱ぎ、ネクタイも緩めてしまう。
この名探偵と手を組むことになったのはほんの2週間前のことなのだが、少なくともこうやって家に出入りすることを許される程度には信頼されていると思うと、少し面映いような気持ちに襲われる。今までKIDとして活躍していたころには協力者はいたものの、こんな同レベルの仲間はいなかったせいかもしれない。
白い横顔を眺めながら、元の身体を取り戻した名探偵の寝顔を複雑な気持ちで見守った。
間違いなく、この自分に良く似た顔立ちの名探偵に惹かれているのがわかっていてなお、KIDは自分の態度を決めかねていた。
この気持ちは、己の認めた好敵手に対するものか?
それとも友人として?
それとも。
答えが出ないその問いを、KIDは頭を振って落とした。
このまま仲間として傍にいられるならば、それが一番心地いい。
普段のKIDならば弱気ともとれるようなことぼんやりと思い、ああ、それだけ自分はこの名探偵との関係を続けたいんだなあと思う。
願わくば、彼に一番近い場所で。
それはかぎりなく何かに近い感情だけれど、それに名前をつけることは躊躇われた。
ただ傍で眠る彼の横顔を、見守ることに満足して。

もしもそのとき、この後に起こる出来事を知っていたならば、迷わなかったのに。





「そう…やっぱり見つからない、ですか」
『ええ。手がかりは例の上着だけね』
「私ももう少し探ってみます」
『ありがとう。お願いするわ』
突然姿を消した名探偵。
海近くの倉庫で、三日前に見つかった、血がにじんだ上着。
答えを導くための材料はわかりやすいほどにそろっているけれど、それを信じたくないのは俺も彼女もおんなじなんだ。
なあ。どこにいるんだよ?
答えてくれ。

今この瞬間、彼がどこかで息をしていることを願う。
あの日俺が見た安らかな寝顔を、死に顔に変えないでくれ。

それはどこにいるはずもない神に向かって、怪盗KIDが初めて祈るものであった。







#引き続き暗い話。新一失踪。
(2006/09/18)



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「じゃが、本当にいいのかね?」
目の前の仲間は笑ってうなずいた。

20.夜明けの光明


こうみえても阿笠は発明家だ。常識には捕らわれない自由な発想を大切にしている。そのおかげでこの歳になって身の回りで起こった不思議な現象にすぐに対応することができたのだと思う。
小さな頃から面倒をみてきた隣家の男の子がある日子どもの姿に戻って助けを求めてきたら誰だって驚く。言動がいくら面影を残しているといっても普通ありえない現象だ。
あの時、子どもを家に招き入れたのはもしかしたら本当にという思いともう一つ、その子が必死に助けてほしいと言っていたからだ。
それを断るほど阿笠は非道ではない。

それからいろいろあった。子どもはやはり隣家の少年であり、しかも何やらややこしい事件に巻き込まれたようだった。とっさに旧知の探偵の家に送り込んだのはいい考えだったと思う。事件の手掛かりという点もあるし、探偵を名乗るだけあって少年は謎が大好きだった。気が紛れるだろうと思ったのだ。
様々な発明品は彼のために作ったものだ。そのいくつかは大いに役だったようだ。
彼の両親の計画を手伝い、アメリカ移住を勧めたこともある。だが彼は断った。理由は彼なりにいろいろあるだろうが、阿笠にはそれが自立心の現れに見えた。その頃、まだろくな手がかりはなかったがそれでも事件を自らの手で解決しようとする姿勢は一人の探偵のものだった。危なっかしいのは相変わらずだが、阿笠はそれを好ましいと思った。
彼の成長を間近で見てきた阿笠だからこそ、これからも彼を見守ろうと思ったのだ。

そのうちに阿笠の家にもう一人、不思議な女の子が転がり込んできた。
愛よりも哀の方がいいという女の子だ。
どうやら少年と同じ立場らしい彼女が、徐々にだが心を開いてくれたのは、彼女の周りに小さな友人たちが現れた頃からだった。


阿笠は思う。
彼らはそれぞれの分野で天才といわれる子どもたちなのだろう。類稀なる才能とそれを発揮できる場を持ったことは彼らにとって幸いなことに違いない。だがその才能は時に人の心を傷つけることもあれば簡単に死に至らしめられる性質を併せ持つ。それを理解していなければならない。
自らも科学者、研究者だから強くそう思うのだ。

彼らはもう十分にそれを学んだ。痛みを引きずり、それぞれの十字架を背負いながらそれでも立ち上がり、戦おうとしている。
ならば阿笠はそれを手伝うだけだ。

だから彼の周りの人が彼の死を悲しみ、嘆いているとき沈黙を保っていた。それが「約束」だったし、作戦をたてたときに予想していた出来事だったからだ。
服部少年の怒りはもっともだと思う。
葬列に参加した人の涙は真実だと思う、
だから阿笠は作戦の前に聞いたのだ。
「本当に、これで良いのか」と。
阿笠の共犯者は笑って、それからごめんな、と言った。


彼は作戦をたてた。
多くの友人たちを悲しませ、傷つける作戦だ。
その中には大切な幼なじみも含まれていたし、数少ない秘密を知る親友もいた。
ともに組織を潰すため手を組んだ仲間もいた。
だが仲間を切り捨てる作戦は、それだけ組織の裏をかき成功率を高める。そのための犠牲は大きい。もう二度と手に入らない未来を抱きしめて組織を打ち砕くことを彼は望んだ。
多くの人を騙し、そして組織から守る作戦をたてて。

その甲斐あって、作戦の首尾は上々だ。予定通り組織への襲撃をもって相手の戦力を削ぎ、水無の地位を高め、自らも世間的に消えて見せた。
そうすることによって工藤新一の近くにもはや災いはないだろうと踏んでのことだ。
たぶん彼ははっきりと起こり得る事態を予想していただろう。
赤井が打ち込んだ楔はよく機能しているし、作戦がこのままうまくいけば遠からず最終計画へと突入する。
全ては計算のうちだ。

だがそれでもわずかな誤算がある。
ジンがなかなか水無を信用しないこと。
水無玲奈の弟、本堂瑛介の行方がしれないこと。
「工藤新一」の暗殺を実行したベルモットの行動が未知数であること。
そして彼の友人たちは守られ、遠ざけられるばかりでは満足しないということだ。
作戦の存在を知った彼らは憤り、傷つき、そしてある者は決意した。
「工藤を助ける」と。
それぞれのやり方で、工藤新一と彼による作戦に加担する、と。
阿笠は最初こそ止めたが、心強いと感じた。

一番はじめから、阿笠は彼の共犯者だった。
だから一番最後まで彼を助ける。
そう決めていた。
だが立ち上がる彼らを見て、少しばかり考え方を変えたのだ。
言われたことだけ守っているのではなく、あらゆる事態を想定し、自ら事件に働きかけるのが共犯者ではないのか、と。


『じゃが、本当にいいのかね?』
彼らは不敵に笑ってうなずく。
『ならば、助けよう』
少女も、
探偵も、
怪盗も、それにのった。

彼がたてた作戦は、決して太い綱のような道ではない。
むしろ暗闇のなか、手探りで手繰るアリアドネの糸だ。切れるのを恐れては進めない。強く引きすぎても、いけない。
己の力と判断だけが頼りの道だ。
だがやがて出口にたどり着いたときに、同じように糸を手繰ってきた者の存在を知るのだろう。
光射す出口は未だ遠いが、糸が一本ではないことは糸を必死に手繰る者には伝わる。ひっりじゃない、それだけで心を照らす輝きとなるのだ。
阿笠はそう信じる。


作戦はきっとうまくいく。
細い糸は、何本も重なることによって強度を増すのだから。







#阿笠博士の憂鬱&宣言。
(2007/12/12)


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