失踪シリーズその3。一覧はこちらからどうぞ。
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06.境界線
今から少しだけ前のこと。
新一はある日姿を消した。二人で遊園地に行った帰りのことで、そのときの後ろ姿は長い間不吉な直感と共に私の心に焼き付いていた。それから折々に何度か顔は合わせたものの、基本的には学校にも来ず、連絡もたまにしか来ない状態で月日は流れた。つまりあのとき感じた不吉な直感は当たっていたわけだ。
私と新一の間にはそういうラインがあった。緊急の時だけ繋がるような、二人だけのホットライン。
姿を消してからでも私が本当にピンチになったときは突然現れたりして、そのタイミングの良さに思わず勘違いしたくなるほどだ。
少なくとも私は新一が好きだった。離れていても寂しくないといえば嘘になる。けれど新一が「待っていてほしいんだ」と言ってくれたことがそのときの私を支えていたのだろう。言葉ひとつで、人は強くも弱くもなる。
新一の言葉だけを頼りに、私は待つことを決めた。新一を信じていたというよりはむしろ、新一の言葉を信じる私の心を信じていたというべきかも知れない。園子たちにさんざんからかわれたけれど、それはそれで正しいと思っている。
やがて1年ほどがたち、新一が再び帰ってきた。校門の前で立っていた新一を見たとき、私は思わず目が潤むのを感じた。新一の少しすまなさそうな、照れたような笑顔は昔から見覚えのある表情で、これはこれから何かを言おうとしているときの顔なのだ。
ただいま、蘭、というその一言だけだったけれど、私は満足した。その言葉にすべてが通じた気がしたのだ。待っていてくれてありがとう、という気持ちまでもが短い言葉にこめられていて、それでそのとき私はひどく安心した覚えがある。
新一が帰ってきたのだ。
以前の文化祭のときのような苦しそうな様子もなく、本当にちょっと旅に出ていた風情で彼は帰ってきた。大きな事件に次から次へと取り組んでいたという事情を、そのまま信じきれるほど単純ではなかったけれど。それでもこれからの未来を信じて、私は言いたかった言葉を心から言えた。
「おかえりなさい」
その瞬間、新一が少々後ろめたそうな顔をしたのを私は見た。何かを悔やんでいた新一が、私の言葉に素直にうなずけなかった一瞬のことだった。
何がそんな表情をさせたのかはわからない。私が気づいたことに新一は気づかなかっただろう。ほんの一瞬、それも本人は無自覚だっただろうから。
それは何に対する後悔だったのか?待っていただけの私には、それを聞くことも許されないのかもしれない。だって、聞いてもきっと新一は困った顔をする。
でも、それはただ平穏な毎日が戻ってきたというわけではないのだということを私に思い知らせる瞬間となった。
いつの頃からだろう?離れていた間に、新一はそんな顔をするようになったのだろう?
いいえ、新一はいつだってそうだったのかもしれない。
自分を省みずに人を助けようとするのが新一の性格だったから。
私を巻き込んだりしないように、そして自分の周りで悲しい事件が起こらないように。
きっとそのために新一は何かを失ったのだ。ほとんど直感で私はそれを感じ取った。
けれどそれを隠して新一は笑う。
…ありがとう、待っていてくれてありがとう。
…これからはもう待たなくてもいいから。
そう言われるのが怖い。
ねえ、私は待っているしかできないの?
#いつまで待っても、過去の日々は戻らない。
(2006/10/20)
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07.凍りつく悲鳴
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08.呪
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09.黄昏の哄笑
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10.生贄
俺は探偵・毛利小五郎。
世間では眠りの小五郎と呼ばれている。
お茶の間で人気の名探偵である。
いや、正確には名探偵「だった」。
なぜならもうどこにも眠りの小五郎はいないからだ。眠りはもはや俺を訪れない。
たから俺は、ただの毛利小五郎である。
最初の頃、俺にとって眠りは唐突に訪れる(しかも時にはめちゃくちゃ痛かった。なにか硬いものが後頭部に当たったかのような・・・)ものだった。
首筋に痛みを感じて奇声を発し、目が覚める頃には犯人が自供して事件は解決している。解いたのは俺だという。もしかして二重人格の内なる俺か?なんて考えたりもしたが、そのうちにわかった。あいつの仕業だ。
そもそも、俺をだまくらかそうと思えるのが間違いだ。俺はあの坊主の小さい頃を知ってる。(最初は忘れてたが)眼鏡のあるなしとかではごまかされん。生意気なとこなんざ、ちっとも変わりゃしねえ。
なにがどうなってあの坊主が家にいるのかは知らない。蘭を泣かしてる所は最高に気に食わねえが、それも後回しだ。あの探偵坊主が戻ってきたら、そのときは覚悟してろ。
だからそれまで…ごまかされてやる。
俺のそんな考えにあいつが気付いてたとは思わねえが、眠りの小五郎は相変わらず続いていた。
俺もそのころにはすっかり腹を決めていたつもりだ。
利用したいなら利用すればいい。俺が眠ることで盾になれるのならやってやろうじゃねえか。
それくらいさせろ、ガキなんだから。
あいつが出ていく、と聞いたとき俺は黙って了承した。文代さんという母親が(どうせこれも変装だろう)お礼を述べたり突然の帰国を謝ったりしている間、あいつは黙ってうつむいていた。それは演技なのか、そうでないのか俺の目には区別が付かなかった。こいつが出ていくということは、あの探偵坊主が戻ってくるということで、つまりこのややこしい事態は解決したのだろう。俺は単純にそう考えていた。長かったのか短かったのか、それも俺にはわからなかった。ただ少しの安堵と、家族が減る淋しさのようなものを感じていたにすぎなかった。
「おじさん…じゃあね」
「おう」
最後の挨拶をすませ、ドアの前に立ったままあいつは微笑んだ。俺も元気でなとかなんとか呟いて、親子が去っていくのを眺めていた。
蘭は弟のような坊主が出ていって寂しいのだろう、沈んだ顔のまま学校に出かけている。
だがきっとそのうち立ち直るだろう。あのじゃじゃ馬娘がいるし、俺もいる。しばらくは麻雀もやめておくか。どこかに食べに行くのもいい。英理も一緒に、なんて言い出したって、まあそれでもいい。
そんなことをとりとめもなく考えていたときだった。
だだだっと階段を駆け上る音がして、何事かと目を上げるとあいつが息を切らしてドアのところに立っていた。
「どうした」
思わず声をかける。
「おっちゃん…あの…」
息が荒い。顔も上げないまま話そうとするが、なかなかうまく言葉を紡げないようだ。
そんな様子を黙って見ているうちに、やがてあいつは勢いよく顔を上げた。
「おっちゃん、今までありがとう」
笑顔だった。子どもみたいな純粋な言葉だった。俺はとっさに言葉が出なくて、今まで何度もこづいた頭を少し乱暴に撫でることでそのかわりにした。あいつは大人しくそのままになっていた。
まったく、しょうのないガキだ。
まだ、終わらない事件を抱えているなんて。俺が護ってやれる場所を、出ていこうとするなんて。
「…身体に気をつけろよ。もうあぶねえ真似をすんな、俺や蘭はいねえからな。おまえの面倒見なくていいと思うとせいせいすらぁ」
俺の言葉にあいつはちょっと笑う。
だから最後にこう付け足した。
「それから…どんな姿になったってまた帰って来い」
そら、待たしてるんだろう、と。返事を聞かないまま背中を押す。
うん、という声は小さいけれど確かに耳に届いた。
それで十分。
「さよなら」
「ああ…行ってこい」
俺は毛利小五郎。探偵だ。だが今だけは誰が来ても追い返すことに決めた。だって探偵が泣いてる姿なんて、誰も見たくないだろう。俺だって見たくない。
誰がなんと言おうと、お前は俺の家族だった。
#眠りの小五郎はただ一人のためだけに。
(2007/05/23)